1962年、イギリスのヒューム副首相が来日した際、
“一人の青年が万年筆とノートでウイスキー製造技術の秘密を全部盗んでいった”
という意味の発言をしたと言われている。
もちろんこれは竹鶴に対する賞賛であった。
このとき話題に出たノート(竹鶴ノート)はしばらく所在不明であったが、
のちに竹鶴が当時所属していた摂津酒造(1964年10月、
宝酒造に合併された)関係者の子孫が保存していることが分かり、
ニッカウヰスキーに寄贈された。 (wikipediaより)
1962年と言えば・・・ 重富寛の誕生年と同じです・・・ (笑)
今朝 Facebook を見ていて 竹鶴政孝さんを 発見しました
オンラインマガジン BAR LIKERS 第3号発行
日本のウイスキーの父 「竹鶴政孝の足跡を写真で辿る」
http://www.bar-times.com/barlikers3/
重富は この政孝さんの ご長男さんに 仲人をお願いしました 感謝です
この中に出てくる 【竹鶴ノート】 ・・・・
実は ビールスタンド重富に あります
もちろん 本物ではありません (苦笑)
レプリカ です・・・
何故 重富がこれを持っているか? と 言いますと・・・
24歳から5年間 ニッカウヰスキーに勤務していたからなのです・・・
東京支店で 5年間 サラリーマンを経験しました
その 退職の時・・・ 会社にあった この 竹鶴ノートを
記念に もらってきました (了承済ですよ・・・)
このノートを見るとわかりますが・・・
とても 丁寧な字で 細かく 細部に渡って記述があります
労働者の家庭のことや、組合のことまで 事細かく記載されています
この2冊のノートが 今の日本のウイスキーの 出発点です
この 伝説の 【竹鶴ノート】
ビールスタンド重富に 置いてありますので
手にとって 見てみたい方は 声をかけてください・・・
※濡れた手では 触らないでくださいね
生ビールで!
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