【お知らせ】 重富酒店では 「スタッフ募集中」 です
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*昨日のブログの つづき
その1 → http://turezurenikki.e-know.jp/e413803.html
その2 → http://turezurenikki.e-know.jp/e413852.html
その3 → http://turezurenikki.e-know.jp/e413896.html
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丁度そのときです・・・雲が切れて・・・太陽の光が差し込みました。
「できる!」そう身体が震えたのを覚えています。
スタジオの天野さんと、石巻とを繋いで現地の様子や、こいのぼりの設置をしていることなによりも、
雨があがって日が差してきた事などを数分間お話ししました。
少しすると、子ども達の説明会が終わりました。
子ども達と一緒にこいのぼりを設置して・・・無事に掲げる事ができました。
(動画)渡波中学校に泳ぐこいのぼり
雨上がりの空に、泳ぐこいのぼりをみて
本当に子ども達の門出を祝福しているように感じました。
でも、それとは裏腹に・・・わたしの中にはある「思い」が広がり始めていました。
それは・・・
「車に積んであるこいのぼりが・・・消えて欲しい!!」
という感情でした。
「なぜ、こいのぼりを持って来たんだろう!?」
「もっと他に、もってくるものがあったんじゃないのか?」
・・・こいのぼりは、食べる事ができません・・・
・・・被災者の方々や、子どもたちにこいのぼりが 必要なのか?・・・
こいのぼりの設置中に、避難所で生活している方々ともお話ししました。
「こいのぼりを持ってきました」 『ありがとうね』
そんな会話はありました。
でも、昼食に用意されていた「パン」をみて・・・
今日の生活が大変な時期に「なぜこいのぼりなんだろう」と
自分自身で、自分の行動の理由と意味がわからなくなっていました。
このまま、こいのぼりをどこかに捨てて広島に帰りたい衝動にかられました・・・
でも、大切な大事なこいのぼりを「託して」くださった方々のお気持ちがあります
そんなことはできません
・・・・でも、被災地の状況を考えると・・・
こいのぼりを設置することに、とても抵抗を感じ始めていました。
そこで私の中で悪魔がささやきました。
交通事故にでもあって、こいのぼりが燃えてしまえば・・・丸くおさまるじゃん!
子ども達の歓声、雲の切れ目から差し込む太陽の光・・・
トラックに積まれた250匹の大切なこいのぼり・・・
この状況の中で、私の心は「悪魔」になっていたように思います。
その時です・・・私の携帯電話がなりました。
相手は先程の住職さんです。
「重富さん、近くの湊小学校さんに こいのぼりのお話をしました。行ってみてください」とのこと・・・
ふと我にもどりました・・・
(その後、多くのボランティアさんに支えていただくことになるのです・・・・)
気を取り直して、後片付けを済ませて・・・F先生に丁寧にお礼を述べました。
それと、広島の酒蔵さんから寄贈してもらった「広島の酒」をこっそりとお渡ししました。
(後日、めちゃくちゃ旨かったとメールが届きました)
3時頃に、渡波中学校を後にしました。
実は、その後は、元仙台市PTA会長の加藤氏のご努力で仙台市の教育委員会さんに会うために、
岡田小学校で待ち合わせをしていました。
行きは3時間かかりましたけど、帰りは2時間で仙台市内まで戻る事ができました。
この岡田小学校も避難所になっており、多くの方が生活をされておられました。
ここには、自衛隊のかたが給食支援として、戦地?さながらの焚出し機材がありました。
岡田小学校と、仙台市の教育委員会さんにこいのぼりと、
牛田新町小学校の子ども達のメッセージをお渡ししました。
当初は、このあとに twitterで知り合った先生の避難所に行く予定でしたが
今日の夜にトラックを置かせてもらう小学校に着く時間が遅くなることもあり・・・
今日は終了することにしました。
仙台駅近くの、榴岡小学校に向かいました。
校長先生と、教頭先生と、児童センターの先生が出迎えてくださいました。
丁寧にご挨拶して、こいのぼりをお渡ししました。
その晩は、加藤さんに無理して予約してもらったホテルに宿泊します。
(仙台市内のホテルは、保険の査定員さん等で満室状態だそうです)
また、食事もしようということになり、国分町の「牛タン」の銘店に連れて行ってもらいました。
これまでに食べた事がない旨い「牛タン」でした。
(あまりの美味しさに写真を撮り忘れました)
その後にもう一軒、居酒屋により、仙台市内の様子などを伺いました。
酔いと疲れのおかげで、話は半分も聞いていなかったと思います。
(加藤さん・・・ごめんなさい)
その後ホテルに戻り・・・竜二と2人・・・爆睡でした。
突然、私の携帯電話がなり、びっくりして目が覚めました。
着信番号は・・・見覚えがありません・・・
誰なんだろう・・・時計をみると、朝の6時です
私「はい、重富です」
電話の相手「キッズのゲンです!」
つづく・・・・・・
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竜二と2人で作業に取り掛かりました。
作業をしていると1人の青年が近づいてこられました。
横浜の徳恩寺の鹿野住職でした。被災地を回って「落語」をされているとのことでした。
こいのぼりを広島から持ってきた事を話すと・・・「なにかお手伝いさせてください」と
私は、こいのぼりの設置場所を探しているんですと伝えました。
鹿野住職は「私がこれからまわる避難所などで声をかけてみますね」と話してくださり
名刺交換と携帯電話の番号を交換しました。
(この住職との出会いが、とてもおおきな動きを引き起こすことになります)
住職は、次の避難所に移動されました。
また竜二と2人で作業を進めます。
すると・・・空が真っ黒になり、大雨となりました。おまけに雷も鳴り始めました・・・
作業は中断して、昼食にすることに・・・
雨があがる事を信じて、ある作業に取り掛かりました。
F先生の最初の電話でもありましたが・・・
渡波中学校の校舎は、津波の被害をうけているので「危険校舎」の指定をうけ
子ども達が授業に使えません。そのために、子ども達は近くの学校3か所に
分かれて通学することになっています。
今日がその最後の登校日(1年生)だったのです。
その最後(終わりという意味ではありませんが)にこいのぼりを皆で掲げて
「新しいスタートの門出」にしたい・・・そう願っていました。
そこでF先生と話をして、分かれて通うことになる3つの学校に持って行ってもらおうと
花嫁道具?ではありませんが・・・こいのぼりを1セットづつと
牛田中学校の皆さんに書いてもらったメッセージを振り分けました。
特別支援学級に書いてもらったメッセージは、特別支援学級の子どもが通う学校に振り分けました。
(後日、F先生より連絡があり、各学校でこいのぼりとメッセージが掲示されていたそうです)
雷雨の中・・・子ども達がすこしづつ登校しはじめました。
体育館に集合して、今後の説明を受けています。
F先生に津波が押し寄せた時の体育館の様子をうかがっていました。
津波から逃げるために、2階部分に上がっていた先生は、どんどん水が入ってくる体育館がまるで、
おおきな洗濯機だったと話されました。
水が入口から入りこみ、体育館が1つの大きな洗濯機のように水が渦を巻き始めたそうです。
そして、水が引いた後には・・・真ん中にうずたかく瓦礫が山になっていたそうです。
雨はまだやみません。時間は丁度2時になりました。
今日は、私が月に1回出演している「FMちゅーピー」の番組を
1週間づらしてもらい、今日のオンエアーにしました。
私の携帯電話に、広島のスタジオから電話が入り、あと少しで始まりますとのこと
丁度そのときです・・・雲が切れて・・・太陽の光が差し込みました。
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日の出です。 とても嬉しい気持ちになりました。
目指す石巻までもうすぐです。
仙台市内から石巻までは、渋滞するので3時間かかると聞いていましたので
仙台南インターを朝6時頃に通過するつもりだったのですが・・・
結局8時頃の通過で、南部道路経由で石巻にむかいました。
案の定、朝のラッシュと、被災地渋滞に巻き込まれ、石巻についたのは11時前
でも、そこにはテレビ画面でみた光景が広がっていました。
しかし、それ以上に衝撃的だったのが「匂い」です。
例えが悪いのですが、クーラーボックスに、釣った魚を入れていて
一週間くらいたって開けた時の感じの匂いが、町中に充満しています。
でも、この匂いは「魚」だけの臭いではないはずです・・・動物や○○の死臭も・・・
この瓦礫と匂いの中で、被災者の方は生活をされておられることに気が付きました。
窓を開けて走っていたのですが・・・口の中が、小さなほこりや砂利で・・・
マスクを付けている意味がよくわかりました。ほこりや砂利にも臭い匂いが
染みついているようです・・・・
目を覆いたくなるような情景が、目的地に向かえば向かうほど酷くなっていきます。
車は、内陸から沿岸のほうに向かっているからです。
そして、目的地「渡波地区」の【渡波中学校】に到着しました。
(動画)渡波中学校に到着した様子
車を降りて、F先生を探しに学校の校舎に入って行きました。
1階は、清掃はされてはいましたが、津波の被害で泥だらけになった痕跡がありました。
2階の職員室に入り、F先生を探しました。 すぐに見つかり握手を交わしました。
真っ先に、牛田中学校の生徒会のメッセージをお渡ししました。
すると先生が「是非見て欲しい」と、被災した校舎の中を案内してくださいました。
(動画)被災校舎と校庭から海岸の被害状況
http://www.facebook.com/video/video.php?v=207176525972042&saved
(説明は、動画内の私と先生との会話をお聞きください)
広島を出発して20時間後に遭遇した、被災地の姿でした。
F先生と「こいのぼり」の設置場所について検討を始めました。
当初は、国旗掲揚台に掲げては・・・から始まりましたが
掲揚台だと、多くても2セット(6匹)が限界に思われました。
先生、長いロープを持って来たので、どこかに数十匹規模で掲げませんか?
この提案に、F先生も大賛成。避難所の方々や、石巻の人にも見える場所がいいですねと、
校庭や校舎をあるきまわって、掲げれる場所を探して回りました。
道路に面した場所は、みてもらうには最高ですが、掲げる柱がありません。
プールの上に掲げる案もでましたが、子ども達と一緒に設置するには危険です。
最終的に、さきほど見せてもらった校舎と体育館にロープを張って
その間にこいのぼりを掲げる案で決まりました。
その案を、校長先生に許可を得ないと先には進めません。
F先生は職員室に戻って行かれました。
およそ10分くらいの時間だったと思いますが、とても長い時間に思えました。
「許可がおりました」
ホッとした瞬間でした。
設置方法を先生と再度確認しました。
●大きなこいのぼりは、こちらで設置はすませておく。
●子ども達が登校して、下校時間に手伝ってもらう。
今は12時です。子ども達は2時に登校してきます。
渡波中学校は、避難所になっており、丁度お昼の時間でした。
倉庫に、パンと牛乳があったのでこれが昼食なのかなと・・・
竜二と2人で作業に取り掛かりました。
つづく・・・
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【石巻へ】
忘れもしません。2011年4月24日(日曜日)
前日も遅くまで準備作業をしていたのですが、当日の朝も早くから目が覚めてしまいました。
名簿の整理がおわっていなかったので、妻が作業を手伝ってくれました(感謝)
出発の1時間前には、休日にも関わらず弊社スタッフが手伝いにきてくれ
積み込みはあっというまに終わりました。(これまた感謝)
(動画)積み込みの様子
http://www.facebook.com/video/video.php?v=206945435995151&saved
(動画)出発の様子
http://www.facebook.com/video/video.php?v=206948172661544&saved
トラックには300匹のこいのぼりと広島の皆さんの思いを積んで出発しました。
助手席にはこの旅の助っ人をお願いした竜二が寝ています。
竜二は、ダーツBARのオーナーで、出発の日も朝まで仕事をしていたようです。
宇品のホームセンターで、ロープなどの必要物品を購入しました。
【宇品インターから高速道へ】
竜二は、まだ酒に酔っているため酔いがさめるまでは私が一人で運転です。
まずは、小谷サービスエリアでちょっと遅い昼食をとりました。
私は眠くなるといけないので軽めに・・・竜二は熟睡モード用にガッツリ!
ミネラルウォーターなどを購入して、再び山陽自動車道へ・・・
竜二はまもなく眠りについたようで静かになりました。
起こしてはいけないと思い、ラジオもかけずに運転を続けました。
すると・・・左のバックミラーになにか青いものが見えます・・・
すこしづつ大きくなっていきます。
「なんだろう」
眠りについたばかりの竜二を起こして「あれ、なに?」と
その瞬間です。
青い物体が、車から落ちていきました。
そうなんです。先程のサービスエリアで横の扉をきちんと閉め忘れたようで
運転中扉が開いてしまい、そこから荷物がこぼれ落ちたようです。
走行車線を走っていたので、荷物は道の端に落ちているようです。
後方を十分に確認して、後続車がいないことを確かめて
竜二に荷物を取りに行ってもらいました。
せっかく眠りかけていた竜二は・・・かなり不機嫌になりましたが
事故がなくてなによりでした。
これは、なにかのサインだと思い、運転には細心の注意をはらうことを肝に銘じました。
気を取り直して運転を再開しました。
竜二はまたうとうとし始めた矢先・・・・
後ろからパトカーが・・・運転席の横に並ぶと
手で合図。「着いてきなさい」とのこと
また竜二は眠る事ができません(ごめん)
パトカーに先導されて、次のパーキングへ。
車を安全な場所に停車させると、警察官のかたが
「違反や切符を切りにきたわけではないので安心を!」と第一声
「さきほど、サイドの扉を開けたまま走っているトラックがいる」との通報があり
注意をするために追いかけてきたとのことでした。
どこまで行くのか?との問いに、石巻までと答えました。
「被災地支援ですか?」との質問に「はい」と答えました。
すると・・・その警察官の方は、先週被災地支援に行かれたとのことで
「東北道に入ると、道がデコボコしている箇所があるので十分注意してください」
「安全運転で行って帰ってきてください」と声をかけてもらいました。
再度安全運転を心に近い、ハンドルを握りました。
竜二はかなり不機嫌です・・・
それでも、数十分後にはいびきをかいて寝てしまいました。
実は、もう一度警察官のお世話になるのですが・・・それは、またその時に・・・
山陽自動車道を大阪に向かって進みます。
これといって報告することもないので、助手席で眠っている竜二のことを少しお話しします。
(あまり書くと、彼は嫌がるのですが・・・)
竜二と出会ったのは5年前の夏でした。
丁度弊社で新しいスタッフを募集していました。
そんなある日、会社に就職希望の電話がありました。
通常だとハローワークさんを通じてのアプローチなのですが
竜二は、直接電話してきました。
竜二「働きたいんです」
私「年齢は?」
竜二「17歳です」
私「じゃあ、運転免許はまだだね・・・身長と体重は?」
竜二「171cm 49kg です」
(酒の配達員の募集なので、免許がなく体格的にも・・難しいな)
そう思った私は、断ろうと思いました・・・・でも
私「電話ありがとう・・・君の年齢ではちょっと難しいね・・・・・」
私「でも一応、連絡先を教えてくれるかな?」と竜二の連絡先を聞いたのです。
採用する気はなかったのですが、なぜか聞いてしまいました。
その後、数人から電話がありましたが面接するまでには至りませんでした。
数日後、ふと竜二のことを思い出して、話だけでもしてみようと思い
面接と称して、食事に誘いました。
そこで、いろんな事を話しました。
高校を中退した事、居酒屋の店長のバイトをしていたこと・・・
いろいろヤンチャだった話など・・・そして「夢」を語ってくれました。
「居酒屋をやりたいんです」と・・・
その目は、とても澄んで輝いていました。
「竜二の夢を応援したい」
結局、18歳になって車の免許を取得したら採用するということで話がまとまりました。
そして3年間は、私のスタッフとして働いてくれました。
弊社で居酒屋を始めた時にも手伝ってくれていましたが・・・
私の辛抱が足らなかった事もあり、彼は私のもとから去って行きました。
その後も、関係がなくなることはなく、5年経ったいまでも喧嘩しながら繋がっています。
実は、竜二を鹿児島の「知覧」に連れて行きたいと前々から思っていましたが
そのチャンスがなかなか作れませんでした。今回「被災地に連れていく」ことで
竜二になにかを伝えたい、なにかを感じて欲しい、そう願っていたのは事実です。
本当の息子ではありませんが一緒に「男旅」がしてみたかったのかもしれません・・・
宝塚付近で渋滞に巻き込まれ、大阪を抜けるのに1時間以上もかかってしまいました。
まだ竜二は爆睡中です。 京都をぬけ、もうすぐ名古屋というところで竜二は目覚めました。
名古屋で東名高速に乗り換えです。竜二に、名古屋の面白い飲食店の話をしている隙に
高速への道を間違えてしまい、都市高速に入ってしまいました。
しかたがないので、一旦高速を降りて、逆方向の高速に乗り換えました。
しかし、東名高速への入り口がなく・・・京都方面にかなり逆戻り・・・
再度高速を降りて、名古屋方面に向かい・・・無事に東名高速に入りました。
最初のサービスエリアで、食事と交代。
名古屋名物「ひつまぶし」をちょっと贅沢ですが頂きました。
ここからは運転を竜二に代わって、仮眠しようと
すると、竜二は自分の携帯電話から好きな音楽をガンガン鳴らします・・・・
眠気防止と思うので、消せ!ともいえず・・・ おかげで仮眠できません。
寝るのはあきらめました。
東名高速は、さすがに大型トラックが多く、寝るにも怖かったので丁度よかったです。
持参してきた ipad で 書き込みをしようと電源を入れると
広島の岡崎ちゃんからメッセージが
「twitterで、避難所にこいのぼりを掲げたい」と書いている人がいるんだけど
私は「場所聞いてくれる、行ける距離なら行くよ!」と
実は、この時点でも、こいのぼりの設置場所が決まっていなかったのでした・・・
少しして返信がきました「名取市」らしい・・・
名取市は仙台市の隣の市なので、行く事は可能です。
すぐさま岡崎ちゃんに「行くと伝えて!」と依頼しました。
その後、twitterでつぶやいていたのは、中学校の先生だと判明し
翌日メールでやり取りすることになります。
そんなこんなで用賀に差し掛かり、首都高に入りました。 夜中の首都高なので
竜二でも運転は大丈夫だと思い、運転は代わりませんでした。
でも、竜二はかなり緊張していたようです。
竜二にとっては、せっかくの東京なの、首都高を通るだけがかなり心残りのようです。
首都高を抜けて、東北道に入りました。
この頃から、被災地に向けて自衛隊や警察の車を多くみかけるようになりました。
福島に入り、原子力発電所のことを思いながら一路北へと進んで行きました。
昼間の警察官の方のアドバイスのとおり、道がデコボコしている箇所があり
行きは大丈夫だけど、帰りに酒を積んでいる時にはかなり注意しないと!と話し合いました。
福島から宮城県に入るあたりで
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(つづく)
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その時に集まっていたこいのぼりの数が・・・・ ゼロ!
私の本気に火がつきました。
こいのぼりを待っている人がいる・・・絶対に届ける!
そう決めた私は、ブログ、twitter、facebook、PTA仲間、友人
ありとあらゆるところに「こいのぼりを届けたい」気持ちを伝えました。
ネットで石巻の先生の学校を検索したところ・・・ありました
写真の掲載者にメールを送り、写真の使用許可をいただきました(感謝)
この場所に、こいのぼりを届けるんだ、子ども達が待っている・・・
【広島元気セミナー】
岡崎支部長(当時)が主催している「広島元気セミナー」
○広島元気セミナー(元気委員会) http://www.facebook.com/hiroshima.genki
この会で、提案者の笹川さんに趣旨を説明してもらい
会場にあつまった方に最初のメッセージを書いてもらいました
(このこいのぼりは、笹川さんご自身の提供です)
その風景を、中国新聞さんが取材してくださいました。
その記事を、翌日曜日の朝刊に掲載していただきました。
そして月曜日
届きました「こいのぼり」
それから、毎日のようにこいのぼりが届きます。
もし、1つもこいのぼりが集まらなかった時の為に
妻に「買ってもいいか?」と聞いてみたところ・・・
妻「買って持っていきんさいや」と笑顔で答えてくれていました(感謝)
こいのぼりを直接届けてくださる方もいらっしゃいます
「今朝、うちの畑でとらた野菜じゃけ、これ食べて元気つけて!」 とか
右端の彼は「佐々木リョウ君」 ミュージシャンです。
自分のオリジナル曲で東北の方々を元気にしたいと
「ひまわり」のCDを100枚持ってきてくれました。
○佐々木リョウ君 http://sasakiryo.jimdo.com/
広報の部分で強い助っ人が現れます
大蔵笑の中本さんです。
中本さんに広島テレビさんにご紹介をいただき
その後広島テレビさんで、4回も放送していただくこととなります。
また、弊社のお得意先(回転寿司屋さん)に、坂のパルディフジにあります「寿し貴」さん
そこの紙社長のご協力で、ネット用のバナーを作成いただきました。
感謝です
○大蔵笑さん http://www.ohkura-show.com/
○寿し貴さん http://www.sushi-taka.jp/
○インフォマークさん http://www.informarc.co.jp/
毎日届くこいのぼりに、すこし責任の重さを感じ始めていました。しかし・・・
同封されている「手紙」を読むたびに
初心を思い出し「頑張らねば!」と自分自身に言い聞かせていました。
最初の20人くらいまでは、お一人お一人に「お礼のお電話」を差し上げていたのですが
途中からはかけることができませんでした・・・・
本当に申し訳ないと思っています。
○同封のお手紙の写真はこちらにあります
http://www.facebook.com/media/set/?set=a.173475236045762.44625.159469560779663&l=32976ca011
20年も30年も前の大切なこいのぼり
初孫やお子さんのために買われた思いでのこいのぼり
そのこいのぼりを届けてくださった方々に、本当に感謝です。
届けてくださる方の中には
「ありがとう」「感謝します」と お礼を言われる方が沢山おられます。
受け取るこちらが「ありがとうございます」のはずなのですが・・・
持ってこられる方が「ありがとう」なんです。
詳しくお話を伺うと・・・・
今回の震災で「なにかしたかった」でも「なにもできていなかった」
使わなくなったこいのぼりで、今回の震災のお役にたてるのであれば
とても嬉しいし、震災への援助の手助けになると思うと「ほっとします」と・・・
以前、私がFMの放送で話した「なにも出来ていない辛さ」を感じておられる方が
他にも沢山おられたことに気がつきました。
そして、その方々の思いを「こいのぼりが」運んでくれるんだと思いました。
○お送りいただいた全てのこいのぼりの写真集があります
http://www.facebook.com/media/set/?set=a.173424062717546.44599.159469560779663&l=778e950436
上のこいのぼりセットは
○たむら人形さん(西区) http://tamura-ningyou.jp/
沢山のこいのぼりのほかに、ロープや留め金を届けてくださいました。
大変助かりました。感謝です。
上のこいのぼりは・・・「和紙」でできています。
毎日沢山のこいのぼりが届き・・・そろそろ250匹に近づいてきた頃になると
このこいのぼりを「掲げる場所」について悩み始めていました。
一番初めに「石巻市の渡波中学校」に届けることが決まっているだけで
あとは、検討中・交渉中しかありません
かなり、しんどくなってきた時に送られてきた「こいのぼり」の箱を開けた瞬間
涙があふれてとまりませんでした。
こいのぼりの箱のふたに書いてあったメッセージです
皆さんの「思い」を、東北の子ども達に必ず届けるんだ!
そう心に誓ったメッセージでした。
笹川さんのアイデアで、メッセージを添えて贈ろうということになりました。
そこで、さらし布で「吹き流し」を作成しました。
24日の出発までにあまり時間がありません
そこで、無理が言える(スミマセン)学校2つにお願いしました。
1つは私がPTA会長だった牛田新町小学校
そしてもう1つは、PTAの副会長だった牛田中学校です。
2つの学校の全クラスにメッセージを書いてもらいました。
牛田新町小学校の全メッセージ
http://www.facebook.com/media/set/?set=a.163936686999617.40664.159469560779663&l=d270f1b32e
牛田中学校の全メッセージ
http://www.facebook.com/media/set/?set=a.165516030175016.41296.159469560779663&l=c69517bb54
せっかくなので、弊社のスタッフの子どもが通う幼稚園にもお願いしました。
広島市 ちどり幼稚園 さん
広島井口 ルンビニ幼稚園 さん
牛田中学校の生徒会の皆さんが渡波中学校の生徒会さんに向けて「色紙」を書いてくれました
(実は、この色紙をコピーして運転席に貼っていました)
出発前日までに、約300匹のこいのぼりが集まりました。
そのこいのぼりの仕分け作業に、多くの方々が手伝ってくださいました。
お好み焼き「さくら」さんのマスター ありがとうございます。
差し入れを下さった、串ひろさんのママさん、永遠希さんのノブ君。ありがとう。
なんとか準備も終わり、荷づくりを始めました。
東北へのトラックは、2トントラックをレンタカーで用意しました。
現地で迷惑をかけないように、全ての日数の食糧、寝袋、水、防寒着を用意しました。
(つづく)
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